衆愚政治に堕した

もちろん、現代では金融システムを守る仕組みが発達しており、1930年前後に起こったような古典的な恐慌が発生する可能性は小さい。だが、信用とはお互いが信頼できるかどうかという心理の領域に属する。目に見えない。時間が経過すればするほど、心理は悪化し現代版恐慌のリスクは高まる。

 中央銀行の必死の努力で、危機が短期金融市場に封じ込められているがゆえに、政治家や納税者からは、危機が遠くに霞んでよく見えないという皮肉な状態を生んでいる。危機が政治家や納税者の目に見えるのは、取り付けがおこったときである。それはもはや危機の最終ステージであり、パニックに転化した瞬間なのだ。だからこそ、政治家は金融のメカニズムと危機の本質を理解して、判断を下す責務を負っている。

 一方、金融当局関係者もジレンマに陥っている。

 政治家や納税者を説得するには、危機の実態とその行く末を率直に語る必要がある。一方、率直に語りすぎれば、恐慌を引き起こしかねない。1927年に起こった日本の昭和金融恐慌では、時の片岡蔵相が衆議院予算委員会で「今日正午ごろにおいて東京渡辺銀行がとうとう破たんいたしました」と失言して、取り付け騒ぎの引き金を引いてしまった。この逸話は、あまりにも有名だ。勢い、金融当局関係者の表現も抽象的にならざるを得ない。

 「市場はなお高度な緊張状態にある」。欧米の金融当局関係者はこう繰り返す。9月29日深夜に、白川方明日総裁がドルの短期金融市場で「流動性はほぼ枯渇した」と述べたが、これなどぎりぎり考え抜いた危機感の表明だろう。

 世界的な株価の暴落で、さしもの米国議会も次は金融安定化法案を可決する可能性は高い。確かに、同法案は欠陥をもっている。だとしても、今はまず可決することが、恐慌への道を防ぐ第一歩である。もし、再度否決されるようなことがあれば、米国は自らが誇る民主主義が衆愚政治に堕したことを世界にさらけ出すことになる。


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